鈴新の歩み
弊社は昭和10年に、初代の鈴木新助が創業いたしました。こちらでは鈴新の歩みをご紹介いたします。
1924年(大正13年)より野崎栄蔵商店で10年間の奉公
関東大震災(1923)後に次男であった創業者鈴木新助は、生家(佐倉市 箪笥製造業)と縁(箪笥金具を購入していた)のあった、当時東京一の鉄鋼卸問屋の野崎栄蔵商店(鉄砲町 現 日本橋本町)の玄関3畳間で奉公を始めた。
野崎栄蔵商店は神田塗師町の紀伊国屋三谷本店の屋号、㋖を屋号とする。
1935年(昭和10年)鈴木新助商店 創業 蓄音機針から始まった鈴新
10年の奉公ののち、野崎栄蔵商店からのれん分けをいただいたのは、高砂ゴム工業(株)、池田製針所、日本蓄針製作所(高田馬場 現オーム(株))の3社であった。
「おまえは神田ではないところで開業せよ」とのことで、新助、28歳で昭和10年10月1日(1935)に宝町(現 京橋)で創業した。
1937年(昭和12年) ダットサントラックを購入
奥行き4間×間口2間の貸家で2階が居住用であった。
当初はリヤカー付自転車などで配達していたが、戦前、業界ではいち早くダットサントラック(当時1台1500円くらい)
を購入。(当時の社屋と車が写った貴重な写真)
日産自動車のセールスマン、岸田貫一氏(後、東洋電気通信工業鰍フ創業社長)と出会った。そのお陰で、東電通梶i後に一部上場、電電公社(現、NTT)の一級工事店)との取引が始まり、優良取引先となった。
1939年(昭和14年)2月
合資会社鈴木新助商店を設立
1948年(昭和23年)10月
株式会社鈴木新助商店を設立、合資会社鈴木新助商店の業務を継承
1948年(昭和23年)戦後の社屋
戦時中は軍需景気で活況であったが、昭和20年(1935年)の東京空襲で、事務所は焼失し金庫だけが残った。
昭和22年(1947)、借地であった宝町(現 京橋)の土地を、地主の濱口地所部(現 ヤマサ醤油)から買い取り、トタン葺き木造2階建ての社屋を建て、昭和23年(1948)株式会社鈴木新助商店を設立した。資本金は100万円であった。
1968年(昭和43年)北海拓殖銀行から譲り受けた社屋
昭和39年(1964)、北海道拓殖銀行に宝町の土地を貸した。
昭和43年(1968)に銀行新社屋に移転後、古い社屋をそっくりそのまま貰い受けた。
1981年(昭和56年) 商号を鈴新株式会社に変更
1982年(昭和57年)11月 鈴木猛 社長に就任 現在に至る
1990年(平成2年)京橋YSビル竣工
お隣の吉川紙商事(株)との共同ビルを建設。不動産賃貸業が鈴新の事業に加わる。
当初、2社でYS興産を作り、管理をした。
現在は東京建物鰍ェ管理している。
1996年(平成8年)8月 営業部を神田に移転
1999年(平成11年)5月 倉庫を箱崎から八潮に移転
2000年(平成12年)8月 増資により資本金6600万円となる
2000年(平成12年〜)光海底ケーブルの資材の納入業者として活躍
近年ITの発達により、国際間の通信事業に不可欠な光海底ケーブルの国内企業の製造開発に携わったことから、光ファイバーを保護する「三分割鉄個片」は主力製品となり、その他ケーブルに必要な資材取扱いに取り組んでいる。
2005年(平成15年)神田事務所に本社を統合する
2006年(平成18年)KESマネジメントシステム・スタンダードスッテップ2認証取得
環境問題が取り上げられるようになる。
2006年取引先の要請で、KES環境マネジメントシステム認証を取得。以後毎年更新続けている。
近隣の清掃活動や、千代田区や中央区の地球温暖化防止のための環境啓発活動にも参加。
2014年度からは、認証機関 KES環境機構がCSRの要素を取り入れた[KES]SR・環境マネジメントに取り組む。
2010年(平成22年)創業75周年パーティ
75周年記念誌を発行
75周年記念パーティを社員、元社員、株主の出席で開催。
2011年(平成23年)第三回千代田ビジネス大賞受賞
平成22年度 第3回千代田ビジネス大賞(主催:公益財団法人 まちみらい千代田、老舗部門にエントリーしたところ、大賞を受賞。
2013年(平成25年)1月 東京商工会議所より50年会員表彰を受ける
2014年(平成26年)ホームページリニューアル
平成26年ホームページをリニューアル
2015年(平成27年)創業80周年を迎える
平成27年10月1日創業80周年を迎えました。
これもひとえに皆様のご指導ご支援の賜と深く感謝いたします。今後も社員一同、末永い社業の発展に専心する所存です。どうぞよろしくお願いいたします。
2022年(令和4年)創業87周年を迎える
令和4年10月1日創業87周年を迎えました。